高2で不登校になった自分は留年しました。しかし、やはり通い続けることはできずに退学することになりました。自己嫌悪に苛まれ、キレて家族に当たるか、ゲームで現実を逃避する、どうしようもない生活を送っていました。
そんな時、ひきこもりから立ち直る原動力となった、ある人物が家にやってきました。それは不登校を支援する団体に所属していた、現役早大生の「堀さん」でした。
しかし、この団体は相当な利益主義だったようで、堀さんは間もなく脱退し、それ以降は個人的に契約して来てくれていたとのことでした。
当時の自分は契約の事はつゆ知らず、ただ遊びに来ている親の知り合いの大学生としか思っていませんでした。両親も息子をどうにかしようと必至で探してきたのでしょう。
最初は会わなかった1か月
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警戒と興味が入り混じる |
毎週末に一度、堀さんは家にやってきました。しかし、警戒していた僕は二階の自分の部屋に閉じこもり、堀さんに会うことはありませんでした。
「勝手なことをしやがって」「そんな事しても無駄」「会うわけない」と僕は反抗を示しました。
しかし一方で、一階から聞こえる足音や笑い声には耳をそばだてていました。「ヤケにドシドシ音を立てて歩くなあ」「大きな笑い声だ」「どんな奴だろうか」と警戒と同時に興味も湧いてきました。
堀さんは二階に上がってくることはなく、手紙と漫画を置いていきました。手紙には、簡単な自己紹介と、置いていった漫画の説明が記されていました。
最後にさり気無く、「また来るので良かったら会おう」と書き添えてありました。「会うかよ」と思いながらも、時間だけは腐るほどあるので、漫画はちゃっかり読んでいました。このように堀さんが来ても会わない週が1か月続きました。
しかし、ひきこもりも人間です。「来てくれているのに会わないのも申し訳ない」と良心が痛むようになりました。また、「悪い人では無さそうだ」「無理矢理外に連れ出そうということもないだろう」と警戒も緩んでいきました。
意を決して会うとそこには・・・
良心の呵責と警戒の緩和から、親の促しに仕方なく答えるという体裁で、しかし内心ではかなりの意を決して会うことにしました。
会ってみると堀さんは、ゴリラのように体格の良い、色黒の大学生でした。「会いたかったよー、しろくま君。」ととても嬉しそうでした。僕は何となく気恥ずかしくなったことを記憶しています。
堀さんは大概、ごはん時に来て、一緒に食事をとりました。堀さんはエネルギッシュな人で、ごはんをバクバク食べながら、酒もガンガン飲みながら、楽しそうに大学生活の話をしました。ひきこもりにはとても刺激的でした。
友人が酔っぱらって寝ゲロを吐いた話や、殴り合いの喧嘩になった話など、くだらない話ばかりでしたが、「大学は案外バカの集まりで、楽しそうなところだ」ということはわかりました笑
「堀さんのようになりたい」
何度か会ううちに、堀さんに好感を抱くようになり、「大学に行ったら気の合う友人と出会えるかも」「楽しい思い出が作れるかも」「堀さんのようになりたい」と憧れを感じるようになりました。
もちろん、悩みはつきず、すぐに生活が変わることはなかったのですが、かすかな希望を見つけた気がしました。
それから、堀さんとは長い付き合いとなり、3年後の東大合格まで、話相手になっていただきました。
今でも堀さんは人生の先輩というか、お兄さんというかアニキのような存在で、交流は続いています。
僕が不登校のメンタルサポートや勉強支援を始めましたのも、「堀さんが助けてくれたように自分も不登校の子を助けられたら」と思ったのがきっかけでした。
堀さんには心から感謝しています。
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