不登校になった理由を端的に表現するならば、「勉強でも部活でも頑張ることがしんどくなったから」になるでしょうか。
今振り返ると本当に恐いくらいの頑張り屋だった高校生の自分
は、勉強と部活に身を削って取り組んでいたように思います。
勉強面では、毎朝5時半に起き、6時発の電車に乗り、3本の電車を乗り換え、1時間半かけて登校していました。
登校中は単語帳を開き、
登校後は誰も来ていない教室で問題集を解いていました。
放課後は6時まで部活をして、帰りの電車でも単語を覚え、
家に帰っても12時まではテレビも見ずに勉強をして、
寝るときは英語のリスニング教材を聴いていました。
僕はその高校に補欠で何とか入学したのですが、1年生の期末テストでは学年1位を取ってしまったせいで、それからは順位を維持しようとさらに自分を追い込む結果となりました。
放課後は部活を頑張りました。中高一貫校の高校編入組でしたので、
クラスメイトは勉強に集中する人が多かったのですが、その中で部活も両立してみせるという、良く言えば気概、
悪く言えば意地が働いていました。部活は過去にインターハイへ何度も出場している伝統があり、練習も中学時代と比べて厳しいものでした。しかし、1年の途中からレギュラーをなんとか獲得し、
土日は試合があると都外にも遠征するハードな生活が続きました。
結果がついてくる時はまだ頑張れました。
良い点を取ったら嬉しかったですし、レギュラーを維持できたら誇らしく感じました。寝不足であっても、過労であっても、苦にはなりませんでした。
しかし、明らかにオーバーペースでした。燃料が切れて結果が出なくなってきたのです。すると、辛いけれど頑張ることに耐え難くなり、
頑張っても辛いことに嫌気が差してきました。高校2年生となり、
化学や物理の授業が始まると、
理解に必要な時間も余裕もない自分の成績は急降下しました。部活でも後輩にレギュラーの座を奪われてしまいました。
勉強と部活。当時の自分にとって全てであった両方において奇しくも同時期に挫折を味わうことになりました。
「あんなに頑張っても負けるなら、もう無理だ。」
と自信がボロボロになりました。頑張り続けることが辛くなりました。
いつか負けるのではないか、という焦りは前々から感じていました。
その焦りを振り払うように、あるいは誤魔化すように目の前の勉強や部活を頑張ってきたのです。
既に心身は疲れきっていて、2つの挫折はそれを表面化したに過ぎませんでした。
頑張らなくてもいいから学校には行こうという発想はありませんでした。
当時の自分は完璧主義の傾向が極端に強かったのです。all or nothing の世界で頑なに気を張って生きていました。1番になれないのなら、やる意味がないと、本気で考えていました。
真面目ですが柔軟性に欠けていたのです。
頑張る気力が尽きて学校に行かなくなりました。
はじめは高圧的な先生の授業がある日だけを休んでいましたが
、土日の部活もなにかと理由をつけて休むようになり、
次第に休み明けの月曜日も起きられなくなりました。
行かなくてはいけないけれど、行きたくない。行きたいけれど、
行けない。そんな葛藤を毎朝繰り返しているうちに、
葛藤から生じる苦しみにも耐えがたくなり、全く登校しなくなりました。
このように、不登校になったきっかけは勉強と部活の挫折ですが、
きっかけはきっかけにしか過ぎません。その背景には完璧主義な性格があり、競争主義の高校生活があり、頑張り過ぎによって蓄積された疲労と挫折を受け入れられなかった頑なさが存在していたのだと、現在は考えています。
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