昨日、院長と食事をする機会がありました。院長の言葉ではっとするものがありました。
「拘束は可哀想だから本当はしたくないと言い訳する前に、実際に拘束されている患者さんと30分でも話をしたことがあるのか。
縛られている苦しみや辛さを本当に感じていることができているのか。
僅か30分の間も患者さんの訴えを受け止められないようなら、拘束なんかするもんじゃない。」
精神科病院では、自傷他害の恐れがある場合や興奮が激しい場合や転倒、点滴自己抜去のリスクがある場合は実際問題として拘束がやむを得ません。
拘束されている患者さんの病室に伺うと拘束を外してほしいと訴える方も少なくありません。
患者さんの安全性や医療行為の必要性からは拘束は致し方ないとも考えますが、身動きが取れない患者さんの辛さは身に染みます。
そんな辛さに耐えかねて、僕は診察を終えると、病状が安定したら取れますよと、もっともらしいことを言って、足早に病室を後にしていました。
それでは患者さんの苦しみを受け止めていないと反省しました。
患者さんの身体的安全上拘束を解除することができなくとも、その傍でその苦しみを共有することは出来るはずです。
翌日、拘束がやむない認知症の患者さんの前で30分間話を聴いてみることにしました。
するとどうでしょうか。初めは少し興奮ぎみで拘束解除を訴えていた患者さんが、10分もたたないうちに穏やかな表情になって昔話を語るようになりました。
患者さんの気持ちに寄り添う大切さを改めて実感しました。
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