2018/08/18

病棟でスイカ割り!

病棟で育てたスイカ

5月に病棟の中庭に植えたスイカですが、無事に収穫にいたり、先日、患者さんとスイカ割りが出来ました。
スイカの断面。左上部はスイカ割の痕跡。

割ってみると中身は縁まで詰まっていて、みずみずしさで光を反射し、綺麗な赤色をしていました。

味も十分な甘さでした。初めてにしては上出来で、何でも挑戦するものだと思いました。

9月にはイチゴを植えたいと思います。

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2018/07/06

病棟でスイカ、育ててみた

しろくま病棟のスイカ

現在、しろくまは30人の患者が生活する病棟を担当しています。

ほとんどが急性期を過ぎた統合失調症の患者さんで、それぞれが退院に向けて取り組んでいます。

統合失調症の患者さんは岡田尊司先生がおっしゃったように、裏表のない純粋な方が多く、人としてとても素敵な方ばかりです。症状もコントロールされている方がほとんどですので、友人と共同生活をしているようです。



しろくまの病棟には中庭があり、そこに小さな菜園があります。歴代の研修医は夏が近づくと、そこに思い思いの植物を植えます。

この病棟に配属が決まったときから、しろくまはスイカを植えることに決めていました。病棟でスイカ割りができたら、みんなで楽しめるだろうと考えたからです。

とはいえ、しろくまは植物を育てることは小学生以来で、何から始めてよいやらわかりませんでした。

とりあえずスイカの育て方が載っている本を買いました。土の耕し方、肥料のやり方、苗の選び方、受粉の仕方、どれも知らないことばかりでわくわくしました。



さっそく園芸店で小玉スイカの苗を買いました。土を耕し、肥料を撒いて、苗を植えました。

毎日、水をやりました。しろくまが病院にいない日は患者さんが水やりを買って出てくれました。

蔓は地を這うように順調に伸びて、1か月程度で蕾がつき、数日後に黄色い小さな花が咲きました。感動しました。
スイカの雌花。がくの下に子房。

スイカの雄花

恥ずかしながらスイカには雌花と雄花があることを知りませんでした。雌花にはがくの下に子房(将来、実となる部分)が膨らんでいました。

雄花を摘んで雄しべの葯に着いている花粉を雌しべの柱頭に擦り付けて受粉させました。

数日後、花は枯れ落ちて、実だけが残りました。少しだけ大きくなっている気がして期待が膨らんだ矢先。次の日に実がなくなっていました。

よく見ると、だんご虫が大量発生していました。虫たちによって食べられていたのでした。

そこで、支柱を刺して立体耕作にしてみました。支柱と蔓との固定には使用期限の切れた縫合糸を用いました。ほどなく、また実を結びました。今度は大丈夫。そう思っていた矢先。またもや実がなくなっていました。
スイカの立体耕作

なぜだろうと考えていると、患者さんが、すずめが実を啄みにきていたと教えてくれました。虫の次は鳥でした。家から排水口ネットを持ってきてそれを実に被せることにしました。
スイカ泥棒対策。鳥よけのネット



ネットは奏効したようです。現在、実は鵞卵大に膨らんでいます。このまま大きくなってくれれば、念願のスイカ割りができそうです。

病棟にあった七夕飾りに「スイカ割りができますように」と記しておきました。

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追記:スイカ割り、できました(コチラ

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2018/06/24

優秀発表賞をいただいて

昨日まで神戸で開催された学会で優秀発表賞をいただきました。

去年の9月から始めた臨床研究は、200人弱の患者さんのカルテを読み返し、必要な情報を抽出し、統計解析をかけるというものでした。

途方もない作業でしたが、指導医やパートナーの励ましのお蔭で、ひとつの形となりました。

心地よい疲れの中、東京行きの新幹線に乗っていると名古屋を過ぎた辺りで赤い電車を追い抜きました。名鉄線でした。

10年前、ゲームばかりの日々から抜け出したいと受験勉強を始めたのは名古屋であり、名鉄線に乗って予備校に出かけたことを思い出しました。

当時、文系の自分が医者になるとは全く思っていませんでしたし、まして、ひきこもりの自分が発信するタイプの人間になるとは微塵も考えていませんでした。

人生はどこまでも変化していくのだ、と目を閉じました。

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2018/03/08

中退した教え子、国立大医学部に合格

今年もうれしい便りが届きました。

学生時代の最後の教え子から、国立大医学部に合格したとメールが届いたのでした。※この子について書いた過去の記事はコチラ

出会った当時、彼は中高一貫校に通う高校3年生でした。成績は学年3番以内にはランクインし、周囲からかなりの期待を集めていました。しかし、本人のなかでは「自分は頑張っていない」「次は絶対に成績が下がる」と不安と焦りでいっぱいだったようです。夏休み明けから学校に通わなくなりました。そして、親御さんがスクールカウンセラーに相談し、スクールカウンセラーからしろくまを紹介されました。

出席日数の猶予はなく、本人にも復学する意志がなかったため、中途退学となりました。しかし、将来的に受験の意志はあり、通信制高校をその年に卒業しました。

翌年より受験勉強を始めましたが、「もう間に合わない」と、秋前に勉強が手につかなくなり、受験できないで終わる年が2回続きました。

今年も夏休みは一切勉強ができなくなったと相談を受けました。

しろくまからは、「君の実力なら受験当日に受験会場にさえ辿り着いていれば絶対に合格できる」とだけ伝えました。

その後は、なんとか受験まで持ちこたえて、医学部合格を勝ち取りました。

普段はクールであまり感情を表に出さない性格の子ですが、合格したとわかったときは、泣きながら親御さんに報告したとのことです。

彼の辛かった日々は同時に親御さんの堪え忍んだ日々でもあります。親御さんは彼を突き放さず、甘やかさず、彼の危機に添い遂げてくださいました。親御さんの協力がなければ達成できなかった快挙だったとしみじみしています。

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2018/01/27

ひきこもりの思い出~祖父の三回忌に寄せて~

名古屋行きの新幹線から見えた富士山

本日、祖父の三回忌がありました。祖父にはひきこもりから立ち直る際に大変お世話になりました。

学校に行かなくなった高二の時も、東大に入る前の一年間も、僕は名古屋の祖父母の家で過ごしました。二階の一室を間借りさせてもらい、自分を見つめ直す時間をいただきました。その間、祖父母は何も言わずに見守ってくれていました。名古屋での生活がなければ、今の自分はなかったと考えています。

そんな祖父が、4年前に転倒して緊急搬送されました。その後は入院生活となっていました。認知機能はだいぶ障害されていました。

亡くなる一ヶ月前、僕は祖父を見舞う機会がありました。祖父はホールで何をすることなしに車椅子に腰かけていました。顔は痩せこけ、ただ遠くを見ているような眼差しでした。

食欲は既になく、ゼリーしか口にしていないとのことでした。そのため四肢は浮腫んで赤紫に変色していました。

皮膚の表面もカサカサしていたので、僕は足に保湿剤を塗ることにしました。僕が塗りながら話しかけても、祖父は短く曖昧な返事をするだけでした。僕のことはもう忘れてしまったんだろうと思いました。

病院から帰る時間となりました。「お祖父ちゃん、帰るね」と声をかけると、しかし、思いがけない言葉が返ってきました。

「二階に泊まっていきゃあよ」

祖父ははっきりと言いました。その言葉を聞いて、名古屋での生活が次々と思い出されました。祖父は自分のことを覚えていてくれたのでした。

「今日は東京に帰らなければいけないんだ。また来るよ。」

これが祖父との最後の会話となりました。

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